小鹿田焼窯元の唐臼

小鹿田焼と民芸運動

小鹿田焼陶芸館民芸運動は、大正時代後半に柳宗悦(1889~1961)が中心となって始まった工芸をめぐる運動である。この運動を担う主要な団体が二つ存在し、ひとつは柳を会長として1934年(昭和9年)に組織された日本民芸協会であり、1936年(昭和11年)に開設された日本民芸館は、現在もその活動の拠点となっている。いまひとつは、民芸協会の会員でありながら柳の考えに反発し、協会を脱退した三宅忠一が中心となって、1959年(昭和34年)に組織された日本民芸協団であり、大阪に開設された日本工芸館を活動の拠点としている。小鹿田焼はこの二つの民芸運動にともに深く関係している。
柳宗悦と小鹿田焼柳によれば、民芸とは、(1)自然の美(2)伝統の美(3)素朴な美(4)機能美をもち、(5)健康的で、(6)大量生産され、(7)安価であり、(8)無名性をもった工芸品とされる。
民芸運動による小鹿田(おんた)焼の登場は、柳が1927年(昭和2年)、久留米の荒物屋で小鹿田焼を初めて目にし、その美しさに惹かれ、4年後の1931年(昭和6年)、小鹿田を訪れている。その際、柳は「日田の皿山」という文章を書いている。
民芸運動の中で小鹿田焼の転機となったのは、1954年バーナード・リーチが小鹿田に来た時からだろう。リーチはイギリスの陶芸家で、民芸運動との関係はきわめて深い。柳とは1909年(明治42年)エッチングの講師として来日し、白樺派の同人と交流を持ってからの友人であり、また陶芸の道に進んでからも、イギリスで濱田庄司とともに窯を築くなど、運動の同人にとっては終生の友人であった。
リーチは、1954年(昭和29年)4月、小鹿田に約3週間滞在し、作陶を行っている。当時67歳と既に陶芸家として大きな名声を得ていたバーナード・リーチの小鹿田での作陶と、大手デパートでの展示会は、マスコミで大きく取り上げられ、小鹿田の知名度が高まる大きな契機となった。
文責:東峰見聞録管理人  ※掲載内容の一部は聞き取り調査による。

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小鹿田焼の歴史

宝永 2年 1705年 小石原の陶工栁瀬三衛門によって開窯。(享保年間開窯の見解もある)
享保元年 1716年 栁瀬三衛門三男文作に小鹿田皿山を譲る。
弘化 4年 1847年 小鹿田皿山地区に8戸で共同登り窯築造。
大正末期 伝統技法「飛び鉋」を取り入れる。
昭和 2年 1927年 柳宗悦、久留米の荒物屋で「日田もの」と呼ばれる小鹿田焼と出会う。
昭和 6年 1931年 柳宗悦、小鹿田を訪れる。
昭和 7年 1932年 伝統技法「刷毛目」を取り入れる。
昭和17年 1942年 「日田の皿山」柳宗悦著、出版。
昭和25年 1950年 濱田庄司、小鹿田を訪れる。陶工と懇談。
昭和26年 1951年 柳宗悦、村岡景夫、小鹿田を訪れる。
昭和29年 1954年 バーナード・リーチ、柳宗悦、濱田庄司、河井寛二郎が小鹿田を訪れる。
バーナード・リーチは小鹿田に3週間滞在し、作陶活動を行う。
昭和32年 1957年 大分県無形文化財指定。
昭和39年 1964年 日本民藝協会長 大原一郎、濱田庄司、バーナード・リーチ小鹿田を訪れる。
昭和45年 1970年 文化庁、「記録作成等の措置を構ずべき無形の文化財」に指定。
日田市立「小鹿田焼陶芸館」建設。
平成 7年 1995年 国の重要無形文化財に指定。技術保持団体として「小鹿田焼技術保存会」認定。
平成 8年 1996年 「小鹿田皿山の唐臼」が「残したい日本の音風景100選」に選定。
平成20年 2008年 皿山・池の鶴地区が国の重要文化的景観「小鹿田の里」に選定。
平成24年 2012年 日田市立「小鹿田焼陶芸館」建替え建設。

文責:東峰見聞録管理人 ※日田市立「小鹿田焼陶芸館」調査による。

小鹿田皿山の風景

登り窯 唐臼 小鹿田の土づくり 小鹿田皿山の風景

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