小石原における高取焼の歴史

高取焼宗家 小石原における高取焼の始まりは、「高取歴代記録」によると「1665年(寛文5年)二代高取八蔵親子が穂波郡中村(白旗山窯)から上座郡鼓村(現在の東峰村大字小石原鼓)に移り住み窯所を開いた」とあり、その後、1704年(元禄17年)ころまで筑前藩御用窯として、茶道具を専用に焼いた。また、1669年(寛文9年)には、白旗山から掛勤めで鼓釜床に来ていた初代八蔵の孫の高取八之丞が、小石原中野(皿山)に移り窯を開いたとある。平成6年度の発掘調査で、皿山一本杉地区に2基の窯跡が確認されていて、高取八之丞によって焼かれた窯と思われる。これが小石原焼(中野焼)の始まりといえる。
三代目八蔵は、元禄年中(1688~1704)に早良郡田島村抱大鋸谷に開窯。1704年(元禄17年)には鼓釜床から博多奥の堂に窯を移している。(鼓釜床からの掛勤め)
1736年(享保末)ごろ小石原焼が磁器から民用陶器を作るようになったのも、交流のあった高取焼の影響が大きかったといえる。
1820年(文政3年)高取清衛門常方により「高取歴代記録」が記される。
1871年(明治4年)廃藩置県により廃藩窯となり、代々黒田藩の窯頭取を務めていた高取宗家によって、藩に殉じて御用窯は壊される。1592年(文禄元年)~1598年(慶長3年)の文禄・慶長の役で黒田長政の命により朝鮮より渡海して以来、初代高取八山が高取焼宗家の火は一旦消える。

高取焼の再興と静山

 廃藩以後高取焼宗家の再興は、高取焼中興の祖とされる高取静山によるものである。静山は、本名を静といい高取焼宗家の長女として1907年(明治40年)に鼓釜床で生まれ、1926年(大正14年)勉強のため上京、日本大学で夜間に国文学を学んだ。後に東京で結婚し、3人の子供を育てていたとき、祖父の閉じた高取焼窯を再興するため父十代富基に呼ばれ、東京と九州を往復しながら手助けをすることになる。しかし父富基は初個展を前にして心労のため急逝し、いつしか戦争の波が窯の火を消し去る。戦後、静山は、ただ一人の直系子孫として髙取焼宗家の再興に尽力し、1958年(昭和33年)5月5日、高取焼宗家再興の初窯開きが行われる。静山50歳のときである。1961年(昭和36年)、第一回目の個展が三越本店で開かれる。これを機に遠州流宗家十一代宗明宗匠に「静山」と号を頂き、髙取焼十一代 髙取静山が誕生する。静山は、1973年(昭和48年)初代高取八山の生地を探しに韓国に行き、特定することはできなかったが、ソウル市内の新世界デパートで個展を開き、日韓友好の民間外交と高く評価される。1976年(昭和51年)にも生地探しに韓国を訪問し、1978年(昭和53年)韓国から李圭卓と崔弘の二人の少年が静山の元に修行に来ている。1983年(昭和58年)6月、2人は韓国慶尚北道月城郡見谷面金丈里に開窯し、静山も式典に出席している。同年10月5日永眠。75歳であった。現在も静山の子孫が、東峰村大字小石原鼓釜床で、第十三代高取八山として、高取焼宗家高取静山窯を継承している。
■文責:東峰見聞録管理人 ■参考文献:小石原村誌